ふと日本語について考えてみる

ついこの間、知り合いの日本人の女の子(アメリカに住んで2年くらい)とちょっとした討論になったことがあります。お題は「日本語(もしくは日本人の)曖昧さについて」。きっかけは、私が何年か前に日本に久しぶりに帰ったときに相手が何を言いたいのか分からなくてイライラしてしまった経験があるという話をしたこと。

詳しくそのときの様子を彼女にしたわけではないから、彼女が言いたいことと私が言いたかったことは食い違ってしまっていたのかもしれないけれど、例えば聞きたいことがあってあるところに電話をしたときに、こちらがどんな用件で電話をかけているのかを説明した後に「失礼ですが。」とだけ言われて??。唐突に失礼ですがと言われてもなんのことだか分からなくて「は?」と何度聞き返しても同じ「ああ、失礼ですが。」。何度か同じことを返されてはたと名前を聞いているのかと思いつく。普通「失礼ですが」とだけ言えば「どちら様でしょうか?」とくるだろうということなのでしょうが、相手が分かっていないようだったら他に言い換えるとかしないものなのか。

同じようにお役所に行っても、何が言いたいのかわからないことが多々あって、そのほとんどは要点をついていないということだったと私は思うのです。英語を話すときは、はっきり自分が何を言いたいのか整理して話さないと組み立てができない言語だから、話をしていてもとても楽だと思う。それに比べて日本語は、同じ日本人同士であれば大抵のことを省略して話せてしまうから、それに慣れていない人は?なことが結構あったりする。

この彼女は、日本語や日本の文化にあるグレーの部分がいいんじゃないか。そのよさを受け止めるには、受け取る側にもそういったセンスがないといけないんではないか。だから私がイライラしてしまったということは、私がアメリカナイズされてそうなってしまったのではないかというようなことを言っていたけど、確かに英語の話し方に慣れてしまって日本にいるときに日本語を話していたような話し方とは変わってしまったかもしれないとは思う。

でも、曖昧でいいことやそうした方がいいことなどはなくしていないと私は思うのです。いつでも白黒はっきりさせたいわけではないし、こういうときはこういう言い方をした方がいいかもしれない・・・とかよく考える方だと思うし。私が思うに、イライラしてしまった一つの理由は、その相手の人が、どう話したらいいのか、何をどう言ったらいいのかというようなことをきちんと考えずにただ惰性で形式的な言い方しかしなかったからではないかと思うのです。

もちろん私が100%誤解されることなく、いつでも分かりやすく合理的に話せるとは言いません。(それはこのブログを読んでもらっても分かると思いますが・・・。笑)でも、形式的な言い方に捉われてより分かりやすい言い方を考える努力を怠ったりなどはしていないと思うのです。

多分日本は基本的に日本人ばかりが住んでいる国だから、色んなことを省略しても話しが通じていきます。逆に言えば、自由に省略したり入れ替えたり造語したりと、すごくクリエイティブになれる言語だと思います。私はそういう日本語が大好きなのですが、そういういい所をもっと活用する+きちんと無理なく言いたいことも伝わるようなそんな風に言葉を遣っていけたらいいな、と思います。

日本語に関するこういう素敵な体験があるよ、とかこういう?な経験があるよ、などあったら是非教えてください。

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by laUtaki | 2006-03-15 15:04 | 言葉
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